「僕のいた時間」をみて幸せって何なのか分からなくなった

alsという難病を患って、それでも懸命に生きようと頑張っている人の長編ドラマ「僕のいた時間」をみた(>_>)

 

普通なら可哀想と涙するモノ。

 

が、涙しなかった(゚ω゚)

 

逆に共感した。

 

alsほどでは無いが、僕も難病を3つ患っている(T ^ T)

 

加えて、破裂寸前で手術不可な脳動脈瘤がある。

 

破裂すればクモ膜下出血になる。

 

あと透析の影響で歩行困難になってしまった(*_*)

 

ドラマと重なる点が多い。

 

病気が発覚した年齢がドラマと近い、ドラマでは体が動きにくくなっていくが僕は病気により体が徐々に瓦解している、ドラマでは彼女と別れたが僕は初めから彼女や結婚を諦めた、明日が見えないのはドラマと同じ(;ω;)

 

だから共感ばかりで可哀想とは思えなかった。

 

唯一共感出来なかったのは、ドラマでは周りが心配してくれて助けてくれたこと、僕の場合は病気になり障害者になり親族から見放され友達から疎外されたこと(@_@)

 

病気になってから周りにいた親族、友達が徐々に距離を取り始め、今では音信不通になった。

 

イマ僕を心配してくれる人、助けてくれる人は一人もいない。

 

逆にalsで早く死ねるというのは、変な意味かも知れないが、幸せなのかも知れない(o_o)

 

僕の脳動脈瘤は今日明日破裂するかも知れないが、難病3つで早く死ぬことは先ずない。

 

先ずないが、ほぼ毎日病気による耐え難い痛みが襲ってくる(T . T)

 

誰も助けてくれなくて誰も心配してくれない状況で。

 

痛み止めが効かないから、我慢に我慢を重ねるしかない(*_*)

 

死ねば痛みから解放されるが、自ら死ぬ勇気は僕にはないから、ひたすら我慢しまくるしかない_| ̄|○

 

僕は何のために生まれてきたんだろう。

 

痛み止めが効かないような痛みを堪えるために生まれてきたんだろうか(゚ω゚)

 

強烈な痛みがあっても生きてられるのは幸せなんだろうか。

 

僕は、病気のために何もかも諦めざるを得なかった。

 

何一つ幸せは無かった(T_T)

 

ホントにツライだけの人生だ。

 

それでも生きてるのは幸せなのかな。